真夏の夜の夢 BAD END




それから1年後の夏。


一学期最後のその日は、悪名名高い鈴蘭高校の生徒も明日から始まる夏休みに心躍らせていた。
街中の若者のテンションがいつもより高いのは、今日が毎年恒例の花火大会の日だからである。

2年の黒澤は相変わらずバイト尽くしの夏を計画しており、それは今晩から始まっていた。
バイト先を後にして、帰宅途中にいつもと違う堤防沿いを通ろうとしたのに深い意味は無かった。
今日は昨日までの炎天下が嘘のように涼しく、着替えはしたものの力仕事で汗だくになった体が夜風に冷やされて気持ちが良かった。
ゆっくり歩いていると、前方から賑やかな声と大勢の足音が聞こえ始める。
そういえば今日は花火大会の日だった。
丁度花火が終わり、見物客の帰宅ラッシュにぶつかってしまったようだ。
数人擦れ違い、だんだんと人が増え始め、そろそろ流れに逆らって歩いて行くのも難しそうだと思い、堤防の下に降りて河原沿いを歩き始めた。
上の補整された道路とは違い、河原沿いは暗くて足場も悪いが、その分通る者は少ない。
そこでも数人と擦れ違いながら歩いていると、同じように擦れ違った中学生達の会話が耳に入り、黒澤は立ち止まった。


「ねぇ、ねぇ、ここじゃない?」
「あ、そうだ。この辺りだよ」
「何が?」
「出るんだよー。幽霊」
「マジで?!」
「マジマジ。浴衣着た女の霊」
「私が聞いた話によるとねー、昔、ここで花火を見るって約束したカップルがいたんだけど、男の方が他に女作って、何処か行っちゃったんだって」
「で? で?」
「丁度花火の日に強い台風が来たんだけど、捨てられた女の方はここで約束どおり恋人が来るの待ってたらしいよ」
「うん」
「次の日この川でその女の水死体が見つかってね、毎年花火の日に、恋人を待ってる女の霊が出るんだってよ」


何処かで聞いたような話だった。
何処で聞いた?
何処で…




約束したのに




「っ?!」


突然頭の中に響いた声。
何処かで聞いた声だった。

辺りを見回すと、未だ帰りの見物客で賑わう堤防の上に女が一人、立っている。

思い出した。

去年の夏に体験した、何とも不思議な出来事。
あれは、その時に会った女だ。

だが…確かに同じ女だが…黒澤が知っている女の姿とは少々違っている。
きっちりと結っていた黒髪は、簪と一緒に崩れ落ち、藤色の清楚な浴衣は泥水にでも浸かったのか、酷い有様だった。

そして何より違っているのは、女から感じる、人を不安にさせるような、この嫌な空気。
去年、あの女を見た時は、こんな気持ちにはならなかった。
ただ、哀れな女だと。
それなのに今の…この感覚は何だ。


「……っ」


胸がざわついた。
俯いているあの女が今どんな表情をしているのかは分からないが、出来れば顔を上げて欲しくないと思った。
あの女の存在に気付かず通り過ぎて行く他人が羨ましい。
自分も、何も気付かず、このまま心地よい夜風に当たって帰りたかった。
それなのに…見たくない、関わりたくない、このまま背を向けて早くこんな場所から遠ざかりたいと思うのに、体が動かない。
嫌な汗が背中をつたった。
その時初めて自分の体が小さく震えているのに気付いた。
まずい。
本当に、あれはまずい。


「でね、その話には続きがあるの」


ゆっくり遠ざかっていく中学生達の話し声の中、その話題だけはハッキリと黒澤の耳に届いていた。


「一年後の花火大会の日にね、男の人の死体がこの河原で見つかったんだって。誰だと思う?」
「え、まさか…」
「そう! 女を捨てた恋人!」
「えぇっ?!」
「全身に針が突き刺さった状態で死んでたんだって」


黒澤はいつのまにか、その中学生達の方を見ていた。


「でも本当はね、針は刺さってたんじゃなくて」


ごくり、と息を呑む。


「体の中から内臓や血管を突き破って出て来た状態だったんだって」


冗談じゃない。


「だからね、その女は自分で恋人を殺したのに気付かないまま…」


ずっと、待ってるの。


「………くそっ」


そんな話を聞いて、こんな所にいつまでもいられるか。
こんな所、二度と通るか。

そう思って、歩きだそうとした一瞬、つい先程まで女がいた場所を見てしまった。
そこには、ただ楽しそうに喋りながら帰路につく見物客しかいなかった。
おもわず、安堵の息が漏れた。
今のうちに、さっさと帰ろう。そして全部忘れよう。


そう歩き出そうとした瞬間。





許さない





耳元で女の声が響いた。





※ ※ ※





「ぐりちゃん、ボタン取れかかってる」


ピンクの浴衣を着た可愛い可愛い彼女と花火を見て、さてこの後ドコに行ってナニしようかな、と考えていると、隣を歩く彼女の指が自分の胸元を指した。
シャツのボタンが取れかかっている。


「あぁっ! こんシャツば気に入っとったんに」


そういえば、彼女と会う前に鉄生と喧嘩をしたのだった。よく見れば所々、薄汚れている。


「あんの猿〜…」


今度会った時クリーニング代をぶんどってやる、と心に誓うと、隣の彼女はクスクスと笑った。


「私、お裁縫セット持ってるよ。ボタン直してあげる」
「ほんなごつ?! 助かるばい! さっすがミホミホ!」


という事で、行き先は堂々と服が脱げる場所になった。
安いラブホに入って直ぐ、その可愛く着込んだ浴衣に手を伸ばすと「ぐりちゃんのボタンが先」と、逆に服を脱がされた。
シャツを彼女に渡し、上半身裸でウキウキとベッドに転がる。
クスクスと笑いながら、彼女は籠バッグから裁縫セットを取り出した。
トン、と九里虎の目の前に置かれた裁縫セット。
裁縫セット?
それは裁縫セットではなく、隙間なく大量の針が刺さった針山だった。
それに、今、その針山を置いた彼女の手。
「今日は浴衣の柄に合わせて、ネイルも同じ花柄にしたんだよ。可愛い?」そう言われ、「愛らしかね」と誉めた、彼女の手。
ここまで手を繋いで来た。ついさっき、シャツを手渡した。

その手が、違っていた。

流行りのネイルアートは無く、土でも触ってきたのか、爪が真っ黒に汚れていた。


「ミホミホ?」


起き上がると、彼女は九里虎に背を向けて、シャツにボタンを取り付けていた。

ゴクリ、と息を呑む。

今日は大きな花飾りでアップにしていた彼女の長い茶髪が、いつの間にか真っ黒になっていた。
強い風の中を歩いて来たかのように、まとめていた髪は崩れ落ち、簪と一緒に取れかかっている。
簪?
その簪には見覚えがある。


「ねぇ、覚えてる?」


聞こえてくる声は、確かに彼女のものだった。


「去年の夏、約束したの」


彼女は振り返らない。


「一緒に花火を見ようって」
「お、おぉおぉ! そうたい! 来年も一緒に花火見るち約束したばい!」
「……嘘つき」
「え?」
「去年は雨が降ってた」
「あー、えーと…そうやったか?」


ふと、気付く。
去年の夏?
どんな相手とも一年以上続いた事はないのに。
約束した?
誰と約束した?


「そうやって、あなたも嘘をつく」


声音が変わった。


「そうやって、他の女の所へ行ってしまう」


あぁ、この声は知っている。


「約束したのに」


去年の夏に出会った。


「ミ……」

「名前まで忘れてしまったのね」



向かいの鏡に映った女の顔の目と唇がニタリと三日月のように歪んだ。





さゆり―――





喉に何かが刺さった。








































指切りゲンマン嘘ついたら針千本飲ます

指切った













































-end-







2010/10/8

目次   



inserted by FC2 system