ピンポンピンポンピンポンピンポピンポピポピポピポ♪


突如、室内に鳴り響くチャイムの音で、夢の世界を漂っていた俺の意識は強制的に現実に呼び戻された。
ケータイを求めてシーツの上を手が彷徨う。
……見つけた。
折り畳まれたソレを開くと、ディスプレイの強烈な光を受けて自然と眉間に皺が寄る。
現在、真夜中2時13分。
これが6時間後だったら『遅刻だ!』と飛び起きるのだが、生憎まだ夢の世界を楽しんで良い時間帯だった。


ピポピポピポピポピポピポピポピポ♪


怒涛の如くチャイムは鳴り続けている。

こんな非常識なマネをする奴は一人しか知らない。
1週間出張に出て数時間前に漸く帰って来たんだ。少しは後輩を労ってくれ…そう思いながら重たい体を起こし、ベッドから下りた。

欠伸をしながら伸びをして、ふと思い出す。
昔はよくこんな風に起こされたな…と。





真夜中にカレーを作る俺。





それは、俺が神羅カンパニーに入社して一月ほど経った頃。
コンポの音量MAXでパンク流しながらバイクの改造に励んでいた俺は(今思えば当然だが)早々に社宅を追い出された後、理想のバイカーズマンションを見つけて毎月の給料の半分を家賃に宛がいながらも幸せな生活を始めていた。

そんな俺の部屋に不躾なチャイムが鳴り響いたの真夜中の午前2時だった。


ピンポンピンポンピンポンピンポピンポピポピポピポ♪


重たい体を引き摺ってインターホンに出ると、小さなTVモニターに映し出されたのは見知った赤い頭。
会社の先輩サマだった。


「…何か用?」
『いいから、入れろよ…』


スピーカーから聞こえたのは掠れた小さな声。
様子がおかしい。
ただ事ではないと思いドアを開けると、突然白いビニール袋を目の前に突き出された。


「カレー作って♪」

「………は?」


『ふざけるな、今何時だと思ってやがる!』そう怒鳴って追い返そうと思ったが、軽い声の癖にビニール袋の向こうの赤い頭は俯いたままで表情が見えなかった。
結局何も言えなくなってビニール袋を受け取ると、そのまま彼…レノを部屋の中に招き入れた。

キッチンカウンターの上にビニール袋の中身を出す。レンジで温めるだけの飯、市販のカレーのルー、ニンジン、ジャガイモ、タマネギ。


「……肉ねぇじゃん」
「忘れたー」


呟くと、間延びした声が背後から返って来た。
カレーに肉が無くてどうすんだよ、と冷蔵庫を漁ってみるものの、料理と呼べるほどの料理が出来ない俺が調理前の食材をふんだんに貯蔵しているわけもなく、肉と言えば肉かもしれない魚肉ソーセージを取り出してカウンターに置いた。

さて、カレーってどうやって作るんだっけ?

ルーの箱の裏にカレーの作り方が書いてあるのを見つけて、まだぼんやりしている意識のまま、それなりに真面目に読む。
なんで4人分しか書いてねぇんだよ。1人分くらい書いておけよ。
「これを4で割れば1人分じゃん?」という考え方が出来ない俺は、説明どおりに4人分の量を用意していく。
残った分は俺が何日か食い続ければいい。結果オーライだ。

その時だ。

急に背後から抱き締められた。

ナイフを握った数に比べて包丁を握った事なんて数回しかない俺は、危うく自分の指を切り落とす所だった。

『危ねぇな! いきなり何するんだテメェ、キメェんだよ! 作ってやるから大人しくそこ座ってろ!』そう怒鳴りつけてやろうとしたが、やっぱり俺は何も言えなかった。

腰に回っている手が思いのほか強く俺を抱いていて。

まるで、必死に縋りついているような、そんな感じ。

下唇を噛んで俺はそのまま野菜を切り続けた。

こんなレノはらしくない。
レノはいつも飄々としていて、どんな状況でも冗談かませる奴で。
いっつも余裕の笑みを浮かべて、カッコよく澄ましてる奴で。

こんな…こんな弱々しい姿を、後輩の俺なんかに見せるような奴じゃない。

なんだか悔しくて。
何が悔しいのか分からねぇけど、とにかく悔しくて。
涙が溢れてきて、それをタマネギのせいにして、とにかく刻み続けた。


俺がたどたどしくカレーを作る様子をレノが見ていたのか、見ていなかったのかは知らない。
レノには真夜中だろうが、とびっきり美味いカレーを作ってくれる女が何人もいるはずだ。
それなのに何故俺の所に来たのか。
相棒であるルードじゃなくて、なんで後輩の俺なのか。

聞きたい事は山ほどあった。

何かあった?

何も無ければ俺の所に来るわけがない。
何かあったのだ。

何があった?

聞きたいけど聞けなかった。


カレーが出来上がってローテーブルに置くと、レノは大人しくその真ん前に座った。
特に何も言わず、黙々とカレーを口にするレノ。
壁に凭れて立っていた俺からは、レノがどんな顔をして食っているのか分からなかった。


「美味ぇかよ」
「フツー」
「だろうな」


カレーなんて生まれて初めて作ったんだ。
不味くないだけ、ずっとマシ。俺にしては上出来だった。

それ以外は何も聞けなかった。
レノも何も言わなかった。

壁に掛かった時計を見上げれば、まもなく3時といった所。
12時間後だったらオヤツの時間だな、となんとも気の抜けた事を思った。
時間を意識した途端、体内時計はそれに合わせたように単純で、再び眠気が舞い戻ってきた。


「んじゃ俺、寝るわ…」
「んー。」


欠伸をしながら伸びをした。手を下ろす際、項に手が触れた。
カレーを作っている最中、レノが頭を預けていたその場所。
ある程度乾いているが、べったりとした液体のようなものが付いていた。

手を見る。

黒っぽく変色しているが…血だ。

ギョッとしてレノを見ると、ジャケットからはみ出た白いシャツが赤黒く染まっていた。
黒いジャケットも濡れていた。

怪我をしているのか、とも思ったが恐らく違う。
あれだけの出血をしているのなら、普通に立っているのは困難だ。
レノの血でないとしたら…他人の血だ。返り血なのかもしれない。


「………っ」


誰を殺したんだ。
殺したくない奴だったのか?
だから、だから…そんな、落ち込んでんのかよ。

何も聞けなかった。
聞いて良いのか分からなかった。
聞いちゃいけないような気もした。

そのまま俺は寝室に戻ってベッドに転がると頭まで布団を被って寝た。

血の臭いはしなかった。
最初は半分寝惚けていたし、途中からカレーの匂いしかしなかった。

俺は何も気付かなくて、気付いた後もどうしたら良いのか分からなくて。
結局、夢の中に逃げるしか出来なかった。


ケータイのアラームで目を覚ますと、どこにもレノはいなかった。
カレーの匂いも無く、あれは夢だったのかとも思った。

だけど違った。

レノがカレーを食っていたローテーブルに、パンを乗せた皿が置かれていた。

アイツ、何のつもりだ?

何も分からないまま、パンを一口齧った。
ただのパンじゃなかった。
物凄くふわふわして、しっとりして、甘くて、なんだか優しくて…。

何のつもりだ。
礼のつもりか?
ふざけんな。
俺は何もしてねぇじゃねぇか。
何も聞いてねぇし、何も言ってねぇ。

悔しかった。
悔しくて、でも何故かとても切なくて。

目から何かが零れ落ちて、パンの上に落ちた。
ちょっとだけ、パンがしょっぱくなった気がした。

出勤すると、いつものレノが本部にいた。
真っ白なシャツと真っ黒なスーツを着て。
俺に気付くと片手を上げて『よぉ、。おはようさん、と』ただそれだけの挨拶。
レノは昨夜の事は何も言わなかった。
だから俺も何も聞かなかった。

レノが作った嫌味なくらいに美味いパンを『フレンチトースト』と呼ぶ事を俺は数日後に知った。


それから時々、レノは真夜中にやって来てカレーを強請るようになった。
その度に俺はカレーを作ってレノに食わせ、俺が寝ている間にレノはフレンチトーストを作って帰って行った。

俺は何も聞かず、レノも何も言わず。
ただ、少しずつ変わって行った。
俺も、レノも。
少しずつ少しずつ。

卵も綺麗に割れない癖にカレーを作るスキルだけが上がった頃には、カレーを理由にしなくてもレノは俺の部屋に来るようになった。

そしてまた少しずつ変わって行った。
俺も、レノも。




ピポピポピポピポピポピポピポピポ♪


そして、今に至る。


インターホンのボタンを押すとマイクに向かって俺は怒鳴った。


「うっせーんだよ!! テメェ、今何時だと思ってやがんだっ!!」


TVモニターに映し出された赤毛は怯む様子も無くヘラヘラと笑っていた。


『ぃよぉ、ちゃん! 会社に鍵忘れちゃったの。あ・け・て〜♪』


コイツ、べろんべろんに酔っ払ってんな…。

このままシカトして寝ようかとも思ったが、どうせまたチャイムを連打されるに決まっている。
渋々ドアを開けると、白いビニール袋を突き付けられた。


「カレー作って♪」

「………は?」


デジャブ?

過ぎったのは昔の記憶。
何かあったのか?
黙ったままビニール袋を受け取ると、そのまま抱き締められた。


、お・か・え・り〜♪ レノ様、寂しかったぞ、とv」
「あぁ、ハイハイ。わかったから離れろ、この酔っ払い」
「そーだ、君。浮気してなかったかな? 浮気してたらレノ様泣いちゃうぞー、と」
「してねぇから、そこ退け。苦しいっての」


まだヘラヘラと笑いながら何か言い続けている酔っ払いを引き離して、キッチンまで行くとビニール袋の中身をカウンターに置いて行く。
レンジで温める飯、市販のルー、ニンジン、ジャガイモ、タマネギ……魚肉ソーセージ。


「いっつも思うんだけどよぉ…」
「んー?」
「なんで毎回魚肉ソーセージ買って来るんだよ」
「それが入ってるカレーが一番好きだからだぞ〜、と」


そう言いながら、レノは背後から俺を抱き締める。。

なんだか懐かしいような気がした。
夜中にカレーを作る事は滅多に無くなっていたのだ。

それはレノが少しずつ俺に心を開いてくれたからだと、俺は勝手に思っている。
あの時どうして俺の所に来たのか。
あの後もどうして俺の所に度々来たのか。
理由は知らない。
結局何も聞いてない。
聞いた方が良いのかずっと悩んでたけど、今は聞かなくても良かったんだと思う。
こうしてレノが当たり前のように来るようになったって事は、俺がいる場所がコイツにとって少しでも居心地の良い場所になったという事だろう。

カレーを作る際にレノは必ず俺を後ろから抱き締めていた。
でも、今腰に回された腕には縋りつくような…助けを求めているような強さは無く、切ない感じはしない。
感じるのは…また甘えやがって、と云うくすぐったさ。


「…俺ぁ、たまにはビーフカレーが食いてぇんだけど」
「んな事言うなよ。せっかく買って来てやったんだからよ、と」
「魚肉ソーセージなんか普通入ってねぇだろ」
「おぉ。だからオマエが作ったカレー食った時は驚いた」
「驚いたなら、次から肉買って来いよ」
「ヤダ。それがいい」


レノは俺の肩に頭を乗っけてクツクツと笑いながら、慣れた手付きでカレーを作る俺をずっと見ていた。

やがて出来上がったカレーを飯の上にぶっ掛けてローテーブルに置くと、レノは「いっただきまーす♪」と手を合わせてから食べ始めた。


「美味ぇかよ」
「フツー」
「だろうな」


時計を見ると、2時45分。あぁ、あと半日プラス15分でオヤツの時間だな…なんて間抜けな事を思った。


「じゃ俺、寝るわ…」
「んー。」


そのまま寝室に戻ってベッドに横になった。
逃げたような後ろめたさは、もう感じない。

その証拠に、ホラ。

数時間後。ケータイのアラームの音で目を覚ませば、隣でレノがぐっすりと眠っている。

以前は黙って帰って行ったレノが当たり前のように隣で眠っている姿は既に見慣れた光景。

これで良かったのだ。


「レノ、起きろー。遅刻すんぞー」
「……っ…あったま痛ぇぇ…」
「あれだけ酔えば、そりゃそうだろうよ」
「…気持ち悪ぃ…死ぬー…くすりー……」
「ったく……」


ベッドを降りて伸びをすると、ローテーブルに置かれた皿が見えた。
皿の上には、当たり前のようにフレンチトースト。

手に取り、ソレを一口齧る。

頬が緩んだ。

あの時感じた悔しさ。
自分は無力だと。
俺は何も聞けねぇし、何もしてやれねぇ。
悔しくて悲しくて切なくて。
このフレンチトーストを食べるたびに、どうしようもない遣る瀬無さを感じていた。

でも、今は違う。

あの時レノがどういうつもりでフレンチトーストを作ったのかは知らないけど、今は分かる。

これは御褒美だ。
真夜中に我が儘を聞いてくれた俺への御褒美。

だから俺はありがたくフレンチトーストを戴く。
以前と変わらず、ふわふわして、しっとりして、甘くて、優しい味がした。


「くーすーりー……」
「ハイハイ」


きっと良かったんだ。

真夜中にカレーを作り続けた事、あの時何も聞かずにいた事、何も言わずにいた事、感じ続けたもどかしさ、悔しさ、切なさ…。

全部良かったんだと思う。

俺が作る普通のカレーで、今のアイツがあるのなら上出来だ。


「レノの朝飯、カレーな?」
「…食欲無ぇ……」
「いいから食え」


いつかまた真夜中にレノがカレーを強請ったら、とびっきり美味いカレーを作って度肝抜かさせやる。
そうしたらレノはどんな御褒美をくれるのだろうか。

無謀かもしれない野望を秘めて、俺はほくそ笑んだ。



-end-




■ あとがき ■
唐突に思い付き、そして過去最短で書き上げたお話しです。
ふざけたタイトルですが、実はかなりお気に入り(笑)
レノとロッドはこういう微妙な距離感で、やきもきしていればいいと思っています。
まぁ、結局はラブラブ(?)になってしまったというオチですがv

2009/05/18 (月)

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