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眩いネオンで彩られた繁華街を抜けてちょっと歩けば、閑静な住宅街とは言えないけれど、そこそこ人が住んでいる場所に出る。
街灯もそこそこで、一般人にとっては物騒と言える場所だったが、慣れ親しんだ自分にとっては多少キツイ酒を呷った後でも迷う事なく進む事が出来る道。
千鳥足ではないが、確実に酔っている歩き方。
でも平気。足は軽い。
いや、重いのか?
どっちでもいい。
安全なんて面白くない。多少危うい方が楽しい。
いつでも、どんな事でも、危険であればあるほど俺は燃える性質だった。

マンションに着いて扉を開ける。
照明は消え、夜の闇に支配された四角い部屋。
「おかえり」と迎えてくれるいつもの声は無い。
もっとも自分の方も「ただいま」なんて台詞を口にした事はない。
それでも俺がこの部屋にやって来るとアイツは決まって「おかえり」と言う。

以前は突然の訪問に仏頂面を隠そうともしなかった。
言われたのは「おかえり」ではなく「またかよ」。
それでも、その口から「帰れ」という台詞が出た事は一度も無かった。

一人暮らしには十分過ぎるほどの広さを持つ1LDK。
電気を点けないまま寝室の扉を開ける。
嘗てここにはシングルベッドが一つ置いてあっただけだが、今ではそれが二つに増えている。
一つはこの部屋の主の物。そして、もう一つは…分かりきった事。
「いつ来ても良い」と言われたわけじゃないが、こうして当たり前のように帰って来る事
を許されている。

ここは、そんなアイツが住む部屋。

ところが不思議。
部屋の中には二つのシングルベッド。
片方の布団が膨らんでいるのは、当然、この部屋の主がそこで眠っているから。
不思議なのは、もう片方の布団までもが微妙に膨らんでいる事。

本来そこは自分の為に用意された場所。
用意した本人が許そうが関係ない。
他人が眠っているなんて言語道断。

しかし暗い部屋の中、よくよく目を凝らして見ると…これがまた微妙な膨らみ加減で、まず成人した男女が眠っているというよりは子供…しかも赤ん坊ほどの大きさでないと有り得ないわけで、じゃぁ赤ん坊が眠っているのかと納得するには難しいほど、彼と自分には赤ん坊との接点が無さ過ぎる。

酔ってはいるが確実な足取りで音も無く部屋の中を進み、そっと掛け布団を捲る。


「………」


そこに眠っていたのは、赤ん坊ではなかった。


「………」


ついでに言うなら、人でもなく。


「………」


生き物でもなかった。


「………」


生き物ではないので、とりあえずレノはそれを掴むと、隣のベッドで眠っている部屋の主の方に投げ付けた。

それはボンッと彼にぶつかると、二、三度ベッドの上を小さく跳ねてコロンと下に転がり落ちた。
それに合わせて布団の隙間から見えた彼の髪が、もぞっと動く。


「……っ…――?」


もそもそと布団の中から頭を出して薄らと目を開けたは、レノを見て小さく「なんだよ…」と呟いた。


「そりゃコッチの台詞だぞ、と」


ベッドの下に転がり落ちた物を拾い上げて、の目の前に突き出す。
目をショボショボさせながら突き出された物を見て、は「あぁ…」と呟いた。


「ゲーセンの前で…ガキが取れねぇって喚いてて…取ってやったら…いなくなってた」
「で、持って帰ったのか」


レノが手を離すと、それはコロンとと並んで眠るように転がった。

ふわふわのモーグリのぬいぐるみ。

ちょうど赤ん坊サイズに作られたソレは抱き心地が良く、女子供に大人気だ…と何処かで聞いた事がある。


「持って帰ったはいいけど、何、ヒトのベッドで寝かせてんだよ。気持ち悪ぃ」


女じゃあるまいし、と呆れたようにレノは言うが


「俺が自分で自分のベッドに置くのもキメェだろーが……」
「………」


まぁ、確かにどちらも気持ち悪い光景だった。


「明日…」
「ん?」
「会社持ってってテキトーに誰かにやるつもり……」
「受付の新人のオネーチャン? あのコ可愛いよな、と」
「チゲェよ…アンタと一緒にすんな……」
「でも、見る目が無ぇんだよ。彼氏がウォールマのチンピラ」
「ぇー…マジでぇー……?」
「オマエ、やっぱり目ぇつけてたんじゃねーか、と」
「ぁー…くそ……」


眠そうにしながらも「マジで見る目無ぇ…」と本気で悔しそうに呟くが可笑しくて、横に並んで寝ているモーグリのぬいぐるみをもう一度放り投げると、レノはもぞもぞとのベッドの中に潜り込んだ。


「んだよぉ…狭ぇ…」


レノを追い出そうと、ぐいぐいと体を押すだが、まだ眠気が残る体には力が入り切らないようで、逆にベッドの隅に追いやられてしまう。


「自分のベッドで寝ろよぉ…」
「だって布団冷たいだもん、と」
「モーグリが温めてただろー……?」
「アレよりオマエの方が体温高いだろ、と」
「っ、冷て…触んなよー…」
「いつもは誰かさんが温めてくれてんのになー。それなのに今日は隙間空いてるし?」
「……自業自得だろ?」


ベッドとベッドの間にある50cmの隙間。
その隙間が意味している事はただ一つ。

が怒っている。

理由は関係ない。
は怒ると、ベッドを離す。
逆に怒っていなければ、離していない。
二つのベッドは仲良く並んで一つのダブルベッドになっている。
一つのベッドだから、いつもは温かい。
二つのベッドになると、いつもより冷たい。


「まだ怒ってんのか?」


嫌がるを強引に抱き寄せると、腕の中でハァ…と溜息。


「…酒臭ぇ」
「ん」
「…冷てぇ」
「ん」
「……4日前から」
「そーか」


レノがを怒らせたのは4日前。
レノがこの部屋に帰って来たのは4日ぶり。
4日間ずっと離れていた二つのベッド。


「どうせアンタ、覚えてねぇんだろ…?」


何故、怒っているのか。


「……女臭ぇよりはマシじゃね?」


だからいい加減、許してくれない?


ぎゅっと抱き締める力を強くすると、諦めたように腕の中の体から力が抜けた。


「ベッド動かすか?」
「……このままでいい」


ハァ、とまた溜息。
それと一緒に腕の中から伝わる温もり。
じんわりと自分を包み込んでいくそれは、今までレノが感じた事がない何かを感じさせてくれる。

優しくて。
居心地がよくて。
安心できる。


「………レノー」
「んー…?」
「おかえり……」


赤茶けた髪を指先に絡ませながらレノは口元を綻ばせた。

声に出さず口だけ動かして4文字の言葉を呟いた後、腕の中で寝息を立て始めたに続くように、レノも目を瞑った。


『ただいま』


その日、は夢の中で初めてその言葉を聞いた気がした。





翌朝、任務先に直行するレノを見送った後、がベッドの位置を直していたのは、床に転がったモーグリのぬいぐるみだけが知っている秘密。



-end-




2010/06/27(日)

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