鬼狩リノ剣
昔々、疫病や災害は全て『何か』が原因であるとされた時代があった。
その『何か』が何であるのかは誰にも分からず、『煙』を見たと言う者もいれば『陽炎』を見たと言う者『死んだ筈の者によく似ていた』と言う者もおり、その『何か』が現れた土地では冷害や干ばつが続き、病が流行り、多くの人間が死んでいった。
『何か』を恐れた人々が縋ったのは、ある山奥の小さな集落に住む一人の女だった。
その女は不思議な力を持っており、女が祈りを込めた物には『何か』を退ける力があった。
だが、女一人でこの世を『何か』から守り続ける事は出来ず、力を使い続けた女は床に臥せる事が多くなった。
そんな時、集落の長の夢の中に『何か』が現れた。
『何か』は長に言った。
あの女子を我が妻として献上するならば、この先1000年、ヒトの世への不干渉を誓おう
女は長のたった一人の娘だった。
大事な娘を『何か』の元に嫁がせるわけにはいかないと長は断ったが、女はその話を受け入れた。
それで人々が幸せに暮らしていけるのならば、私は喜んであれの元に嫁ぎましょう。
長が止めても女は聞かず、『何か』の元へ嫁ぐ日、長にある予言を残した。
社を建て、一振りの刀を1000年祀って下さい。さすれば1000年後、あれが再びこの世に現れる時、それを滅するチカラが生まれるでしょう。
こうして『何か』の花嫁となった女は『何か』と共に消えた。
その後、この世に平和が訪れ、人々が女の事も『何か』の存在も忘れた頃―――。
「好誠」
とある山の奥深く。
小さな村の中にある神社の拝殿で寝転がる一人の男がいた。
「おい、好誠! 起きろ!」
うららかな昼下がりに大声で昼寝の邪魔をされた男は、薄らと目を開き、大口を開けて欠伸をした。
随分と人間味のある豪快な欠伸だが、その容姿は神仏が創ったと言っても過言ではないほどに美しく、清水のように透明で澄んだ雰囲気を持つ不思議な男だった。
男の名は好誠。
今年で18になるが、この村の長である。
「んだよ、柳。いい気持ちで眠ってたのに邪魔しやがって」
体を起こして、自分の直ぐ真横に立っている男を見上げる。
背の高いその男もまた端正な顔立ちをしていた。
名は柳。好誠の幼馴染である。
「何処で寝てんだ、お前は」
「ここ」
「ここじゃねーよ。神社はお前の寝屋じゃねぇんだぞ」
「いいじゃねぇか。姉上がいつ来ても良いって言ってんだからよ」
「いくら巫女様が良いと言ってもな、お前は村長なんだ。少しは遠慮しろよ」
この村長の家系には代々強いチカラを持つ者が生まれた。
女は社の御神刀を守る巫女となり、男はその巫女を守る長であり、この日の本の国に生きる秘術師の頂点に立つ者であった。
「それに…」
「ん?」
「……昼寝なら、俺の屋敷に来ればいいだろ」
ふい、と顔を背けて呟く柳。
その耳が微かに赤くなっているのを見て、好誠は笑った。
「そうだな。お前の屋敷なら、美味い茶と菓子も用意してくれるだろうしな」
「…巫女様の茶には遠く及ばないがな」
「そんな事ないぜ? 柳の淹れる茶は特別だからな」
「何も特別な事なんざしてねぇよ」
「いや、入れてるだろ?」
「何を?」
「愛情」
「なっ?!」
覗き込むように見上げてみれば、これ以上ないほどに顔を赤くした柳が魚のように口をパクパクと開けていた。
「ハハッ! 面白いな、お前」
「っ…好誠! からかうな!」
怒る柳を気にせず好誠が笑っていると、外からヒラリヒラリと蝶が飛んで来た。
ふと好誠の顔から表情が消え、その蝶を見つめる。同じように柳も蝶を見た。
蝶は好誠の周りを二度回ってから、その肩に留まり、暫くそのままだった。
その間、好誠は肩に留まった蝶をじっと見つめていた。
柳には、蝶が好誠に何かを伝えているように見えた。
ふと好誠が柳を見上げて言った。
「晴明の式神だ」
「晴明…京の陰陽師か」
「あぁ。最近、妖の姿をよく見るらしい」
好誠は蝶を掌の中にそっと仕舞い込むと、フッと掌の中に息を吹き掛けた。
立ち上がり、拝殿の端まで行って外に向かって手を開く。
手の中から現れたのは蝶ではなく真っ白な小鳥。
鳥は真っ直ぐ青空へと飛び立って行った。
「京は大丈夫なのか?」
「あぁ。晴明は強い。とても80過ぎの爺さんとは思えないほどにな」
「一人でいいのか? 使いなら直ぐに手配するが…」
「柳」
振り返り、好誠は言った。
「『鬼』は妖の百匹や千匹の比じゃねぇぞ」
その時、轟音と共に地が揺らめいた。
柳は咄嗟に好誠を自分の下に庇い、身を低くして揺れが止むのを待った。
この村には神社を中心にして幾重にも結界が敷いてある。
地震は勿論の事、水の被害も日照りの被害も起こった事はない。
それなのに、この揺れは一体。
柳が思案していると次第に揺れは治まり、地鳴りも小さくなっていった。
「今の地震は…」
柳が呟くと、好誠が本殿の奥に向かって走り出した。
同じように柳も好誠の後を追う。
本殿の奥の奥にある本祭壇。
そこには御神刀と、
「姉上!!」
巫女がいた。
好誠と柳がそこに辿り着くと、地震によって崩れ落ちた祭壇の前で巫女が倒れていた。
柳が巫女を抱き起こすと、彼女は呻き声を上げ、薄らと瞳を開けた。その瞳に心配そうな弟の顔が映る。
「……好誠」
「姉上…御無事で何よりです」
「御神刀は…」
振り返り、崩れた祭壇を見て、好誠の顔が強張った。
祀っていた御神刀が、真っ二つに折れていたのだ。
「姉上…」
「御神刀を此方へ」
「姉上、刀が…」
「良いのです。御神刀を此方へ」
好誠は戸惑いながら折れた刀を、巫女に差し出した。
巫女の体を支えていた柳もその刀を見て顔を強張らせたが、巫女は動揺した素振りを見せず黙ってその刀を受け取った。
そして巫女が呪を唱えると、刀は少しずつ輝き始め不思議な光を発した。
「好誠。手を…」
巫女に言われるままに好誠が手を差し出すと、巫女はその手に刀を握らせた。
不思議な光は好誠も包み込んだ。
刀はまるで浮いているように重さが無く、生き物のような熱と鼓動を感じさせた。
まるで自分の体の一部のよう。
何故だろう。
不思議と懐かしささえ感じる。
やがて光が消えると、手にはしっかりとした刀の重さと冷たさが残っていた。
「刀が……」
柳が驚きを隠せず呟く。
折れていたはずの刀が元通りになっていたのだ。そして、
「抜け殻……」
代々、村の長と巫女が神力を込めて祀っていた御神刀。
その刀は鞘に入ったままでも神々しい力を発しており、長と巫女以外の者はそれを目にしただけで膝を突かずにはいられなかったというのに。
今、好誠が握っているのは、ただの刀。
あの気圧されるような力が何処にも無かった。
「………好誠?」
いや、力は別の場所にあった。
あの神々しい力が、好誠から感じ取れる。
好誠は目を瞑り、一度大きく息を吐いてから、巫女を見た。
「…そういう事か」
その刀のように研ぎ澄まされた瞳は何もかもを悟っているようだった。
巫女の瞳が悲しげに揺れた。
「ごめんなさい。好誠…」
「いや、姉上は何も悪くない」
「貴方に何もかも背負わせたくなかったのに…」
「姉上の力は強い。だが、こればっかりは変えられねぇ。1000年前から決まっていた事だ」
昔々、疫病や災害は全て『何か』が原因であるとされた時代があった。
その『何か』から、この世を守る為、一人の女が犠牲となった。
女は予言を残した。
社を建て、一振りの刀を1000年祀って下さい。さすれば1000年後、あれが再びこの世に現れる時、それを滅するチカラが生まれるでしょう。
それから時代は流れ、『何か』が『鬼』と呼ばれる時代。
一人の女が犠牲になって1000年経った頃。
「柳。始まるぜ」
それは時代の裂け目。
妖の世か。
それとも人の世か。
この世が闇で覆われる時、『鬼』が再び現れる。
「姉上や京の晴明、お前を含めてこの村にいる術師達。それ以外にも各地に力ある者が揃っている。全てこの時の為の布陣だ」
「好誠…」
「心配するな、柳」
この日、1000年かけて新しい力が生まれた。
「鬼は強いが」
男の名は好誠。
「俺はもっと強い」
またの名を『鬼狩りの剣』
-end-
■ あとがき という言い訳 ■
元々、弟も姉と同等の凄まじい力を持って生れて来たのですが、この日を境に鬼に匹敵する力を手に入れたのでした。頭の中にはありますが…続くようで続きません。
2010/05/05
目次
|